1941/Kampf Riesen Mars

※毎月25日更新

CHAPTER1/1941/Kampf Riesen Mars

1941年、失踪した婚約者を追って、桐野舞子はひとりスペインの港町に降り立った。
最後に受け取った手紙の消印をたどって、ここアンダルシアの港町コルドバにたどり着いたのだ。
しかし中立国とはいえ時は世界大戦の真只中、頼るあてもなく、言葉も通じない異国の地で、彼女は一人途方に暮れていた。

そんな中、一人の日本人が彼女を見かける。ヨーロッパ最果てのこの国で、東洋人を見かけること自体珍しい。二人が出会うのは必然だった。岩野文忠と名乗ったその男はスペイン内乱に参加した数少ない日本人義勇兵の一人であった。彼は内乱の終わった後もスペインに残って、便利屋の様なことをしながらこの街に暮らし続けていたのだ。

事情を聞いた岩野は仕事仲間2人と一緒に、その婚約者探しを引き受ける。
たいして大きくもないこの街で、日本人ひとり見つける事くらい朝飯前だと思ったのだ。
実際、すぐに見つかった。しかし、見つかったのは婚約者の方ではなかった。探しているこちらが「奴ら」に見つかったのだ。

「奴ら」とはSSであった。アドルフヒトラー武装親衛隊。
地中海を挟んだチュニジアにアフリカ軍団を展開しているドイツ軍は、中立国とはいえ枢軸側よりのここスペインにも多くの兵員を送り込んでいた。

SS管轄の刑務所にぶち込まれた岩野達「便利屋」の3人は、期せずして探していた婚約者と出会うこととなる。婚約者の名は金子大助と言った。彼は瀕死の深手を負っていたが、日本から舞子が捜しに来ていることを告げられると、一瞬、驚きと安堵の表情を浮かべた。しかし、自らの命がもう長くはない事を悟っていた金子は自分のやり残した仕事を彼ら3人に引き継いでもらいたいと言ってきた。

日本の商社マンであった金子は、中立国であるここスペインにおいて、ヨーロッパ中の鉱山で採掘された鉄鉱石を日本に送る手配をしていた。
戦争の足音が近づく中、列強各国の繰り広げる資源獲得競争は日増しに激しさを増して行った。そんな中、本社から送られてくる報告書に、金子はひとつの疑問を抱くようになる。
「鉄の生産量が少な過ぎる。」
軍拡を進める日本の状況は遠く欧州にいる金子の耳にも入っていた。もちろん知りうる情報は限られていたが、本社が発表している情報と彼が送っている鉄鉱石の量が余りにもかけ離れていたのだ。
「おかしい。どこかに横流しされているのではないか?」
これまで送った量の鉄鉱石があれば、連合艦隊があと三つは作れるはずだった。金子は、独自に調査を始めることにした。
中継地の港に赴き、現場の担当者から話を聞くなど、とにかく自ら動いて情報を集めて行った。するとそこには意外な事実が浮かび上がってきた。
彼の手配したバラ積み船は、その殆どが日本には到着しておらず、どう言う訳か喜望峰の南に向かっていたのだ。もちろん喜望峰の先に港などありはしない。その先にある陸地と言えばただひとつ「南極大陸」だけであった。

CHAPTER2/1941/Kampf Riesen Mars

ドイツアフリカ軍団に加わることを条件に解放された便利屋達の3人は、外国人部隊の一員としてイタリア軍に編入させられた。しかし折から始まったイギリス軍の反攻で、イタリア軍はエルアゲイラまで後退させられてしまう。苦しい闘いを続けて来た岩野達に、これ以上他人の戦争に付き合う理由は無かった。イタリア軍が西へと敗走する中、首尾よく自走砲を手に入れた彼らはSSの手を逃れるため、南へと逃走を始めるのだった。

途中、ダカールの町で彼らは懐かしい顔に再会する。舞子であった。彼女もまたSSの手を逃れてここダカールまでやって来ていたのだ。もちろん自分の婚約者が彼らと一緒に来ていることを信じて。

婚約者の死を知った彼女の悲しみは、周りにいる者全てから同情の涙を誘った。舞子にとってそれは、長い旅路の果てに訪れた最悪の結末であった。彼女は生きる目的を失い、自らの命を断とうとしてしまう。しかし、いち早く異変に気付いた岩野達によって、彼女は一命を取りとめるのであった。心の傷が癒えるとともに、舞子は日本に帰ることを強く望むようになる。しかし彼女のそんな願いも、ある事態によって到底叶えられないものになってしまう。帰るべきその日本が、連合国に宣戦を布告したのだ。


ここダカールは祖国を失った植民地フランス軍が本拠を置く地でもあった。
フランス本国がドイツに敗北する中、枢軸側、連合国側のどちらにも組みしない彼らの立ち位置は、ある意味微妙なものであった。そんな中、連合国と戦争状態にある国の人間が現れたとなれば、例えそれが女性であっても、それをそのまま帰国させる事など出来る話ではない。
それは岩野達3人にとっても同じであった。窮地に陥った彼らは、自らの保身を図るため、ある取引をフランス側に申し出る。それは、スペインの刑務所で件の婚約者―金子大助から聞いた話を持ち出す事であった。
『南極』と言う言葉に、司令官であるボアソン提督の目つきが変わった。どうやらフランス側も何かしらの情報を掴んでいるようだった。

折も折、ダカール港沖でドイツ軍の潜水艦が拿捕される事件が発生した。早速曳航されてきたその艦には驚くべき事実が隠されていた。
発見された文書から、この艦の行き先が南極大陸であることが判明した。また、その航路も鉄鉱石を積んだ件のバラ積み船と同じものであった。このUボートは輸送用に改造されたものらしく、船体のほとんどが貨物庫で占められていた。艦尾には巨大な連結装置が備わっており、他の船と連結できるような構造にもなっていた。

積まれていた貨物はほとんどが工作機械であったが、中には明らかに人型を模して作られた作業用の重機と思われる物も積みこまれていた。マニュアルに従ってこれらを組み上げてみると、そこには高さ5mを超える一人乗りの機械(マシン)が現れた。いかにもドイツ製らしい、非常に凝った作りのそれは装甲が施されていることから、重機と言うよりはむしろ兵器と言った方がよりしっくりくるようであった。

CHAPTER3/1941/Kampf Riesen Mars

翌早朝、「便利屋」の3人は背広姿のフランス人に叩き起こされた。テントの外には複数の輸送機が用意されており、そこには昨日組み上げられた例の「重機」も積み込まれていた。彼らは行き先も告げられないままその輸送機に放り込まれると、砂漠の真只中に連行されてしまった。

着陸と給油を繰り返しながら丸2日程飛ぶと、地平線の陰に岩山の林立する寂しげな渓谷が見えてきた。どうやらここが目的地のようである。渓谷のそこ此処には、先史時代のものと思われる岩絵が数多く描かれていた。それらはどれも写実的で、ある種、芸術性すら感じさせる見事なものであった。

渓谷を少し入ったところで、背広姿の男と舞子が話し込んでいるのが見えた。アランと言う名のその男は、舞子の婚約者であった金子大助とは旧知の仲で、彼女のことも金子から聞かされて良く知っている様だった。便利屋達3人に対するこのフランス人の態度も2日前とは一変していた。それは彼ら3人が金子から仕事を引き継がれた「後任者」であることを舞子から聞かされた為であった。
しかしながら、岩野達は自分たちが実際にはどんな仕事を引き継いでいるのかを全く理解していなかった。ただ、今はそう言うことにしておいた方が自分たちの保身には有利に働いてくれそうなので、取りあえずはそのままにしておいているだけなのであった。

CHAPTER4/1941/Kampf Riesen Mars

8年前に発見されたその岩絵は、そのあまりの異様さから「火星の神」と呼ばれていた。
ヘルメットを被ったような頭部には左右非対称の目があるだけで、その上部にはフタの様なものが5枚程描かれていた。指は4本しかなく、全身はゴム製の服を着ているようでもあった。
他の岩絵が人間や動物を写実的に描いている中にあって、この「火星の神」だけが実在しないものを描いていることから、当初これは信仰の対象として描かれた「神」の絵であると思われていた。しかし調査が進むにつれて、この岩絵が実際に存在する「何か」を写実的に描いたものであることが次第に明らかになって行った。

渓谷の中程で、突然それは彼らの視界に飛び込んできた。なんとも形容しがたい異様な「何か」が便利屋達の前に現れたのだ。

それは巨大な石像だった。座った状態ではあるが、それでも高さは4m以上、身体に比べて短めな手足を備えたそれは、潜水服を着た人間のようでもあった。しかしながら頭に当たる部分には左右のバランスが取れていない2つの穴が開いているだけで、顔らしきものは見当たらない。全身には鎧の様なもの纏っているが、経年変化がひどく、ほぼ朽ち果てる寸前の状態であった。
3日前に見たドイツ軍の重機にも驚いたが、この「何か」の放つオーラは尋常でなかった。それはこの世のものとは思えない、まるで現実にはあり得るはずのないモノの様にも思われた。 驚きと恐怖で立ち尽くす岩野達を置いて、アラン達フランス軍は渓谷の奥へと行ってしまった。それはまるで、この異様な光景も、彼らには見慣れた景色の一部に過ぎないといった様子でもあった。

名前を呼ばれて我に返った岩野達は、石像からなるべくはなれたところを通るようにして、アラン達を追いかけた。振り返ると、渓谷の入り口では例のドイツ製重機が輸送機から降ろされようとしていた。戦線からはだいぶ離れているこんな辺ぴな所で、兵器として作られたであろうそれを起動させることに、岩野は少なからず違和感を覚えた。
「敵の気配などどこにも感じられないが…。」
あるとすれば、この「何か」の像からだけだが、そんなことはまずあり得るはずもなかった。

フランス兵達に追いつくと、アランは岩野達に何やら意味不明な事を話しかけてきた。
「地下にある装置は全て爆破します。石切り場の賢人がここを嗅ぎつけたようですので。」
(地下の装置って何だ?石切り場の賢人って、誰?)
怪訝そうな顔を向ける岩野達をアランはしばらく見つめていたが、突然何かを思いついたような顔になると、また渓谷の奥へと走って行ってしまった。
程なくすると、輸送機から降ろされたドイツ製重機が彼らの後ろに現れた。驚いたことに1台だけかと思われたそれは、いつの間にかその数を6台にまで増やしていた。フランス軍はあの日のうちに、接収したパーツ全てを組み上げていたのだ。
恐らくドイツ人であろう重機の操縦者や、その周りにいるフランス兵達も、辺りに漂う激しい敵意に気付いていた。それはダイナマイトの起爆レバーを握るアランにしても同じことであった。

CHAPTER5/1941/Kampf Riesen Mars

帝国海軍航空隊がチュニジア南部の飛行場を飛び立って、既に2時間が過ぎていた。中嶋飛曹長は零戦の風防を開けたまま、渓谷の真ん中に現れた巨大な穴を見下ろしていた。周囲10q程はあろうかと思われるそれは、干上がった川の上流に位置しており、付近には茫漠たる土煙が湧き上がっていた。何らかの理由で地面が陥没したものと思われたが、土煙に遮られて詳しい状況は分からない。穴の周囲では兵士と思われる人影があわただしく走り回っていた。

随伴の偵察機が高度を上げるのを見て、中嶋は自分達が敵地の上空に侵入したことを悟った。振り向くと、味方の爆撃隊が土煙の中に突っ込んで行く。大穴の中央には、照りつける太陽を反射する巨大な甲板の様なモノが見え隠れしていた。中嶋は湧き上がる土煙を避けて零戦を急上昇させると、周囲の異変に目を光らせた。中国大陸とは比べものにならない空の眩しさに目がくらみそうになりながらも、視界の端に映る僚機からは決して目を離さない。連合国と戦争を始めた以上、これから対峙するであろう敵のパイロットは今までの中国軍とは格が違う。我々より2年も前に戦争を始めた超一流のプロ集団なのだ。中嶋は、中国では久しく感じなくなっていた緊張感で全身が武者震いするのを感じた。

投弾を終えた爆撃機は渓谷の岩場をかすめると、鋭い旋回を打って地面すれすれを駆け抜けて行った。その動きには十分な経験に裏打ちされた、絶対の自信がみなぎっている。
「艦爆隊の連中、今日は張り切ってるな。」

しかし中嶋のそんな思いとは裏腹に、敵の「甲板」にはかすり傷ひとつ付いていなかった。彼らの駆る99艦爆はその性格上、大型の爆弾を積めるように作られてはいない。高速で動き回る敵艦にギリギリまで肉薄して一発必中の爆撃を行なう。そのため、搭載できる爆弾も250sまでに制限されていたのだ。

「相手が悪すぎる。」
中嶋は艦爆隊の搭乗員を不憫に思った。
しかし中嶋や他の隊員達は、自分たちが攻撃しているモノについて、十分な説明を受けている訳ではなかった。作戦前の打ち合わせでは連合軍の新型要塞とだけ聞かされていた。要塞の攻撃に海軍航空隊が駆り出されること自体おかしな話だが、砂漠を海に見立てての作戦と言う事でいちおうの納得は出来ていた。
しかしそれにしてもだ、その要塞が動くとまでは聞かされていない。ましてや、その大きさが翔鶴型空母の3倍以上あろうかと言う事も。これは一体何なのだ。連合国とはそれほどまでに強大な力を持っているのか。中嶋はこれまでの日中戦争で積み上げた自信を、軽く打ち崩されそうになっていた。

CHAPTER6/1941/Kampf Riesen Mars

重機の操縦者達は敵の出現を予期していたようだった。穴の底からは巨大な「甲板」がせり上がって来ている。6台の重機は逃げまどう岩野達を尻目に、穴の底に向かって37o砲を発砲し続けていた。高射砲を改造して造られたそれは、目標に向かって驚くべき速度で砲弾の雨を浴びせかける。しかし十分な手応えは得られなかった。徹甲弾の弾かれる甲高い音が渓谷の中に響き渡る。静かだった渓谷は一瞬にして戦場へと変わってしまった。

「便利屋」達とフランス軍は、激しい敵意に押されて渓谷の奥まで逃げ込んで来ていた。事態の思わぬ展開に、アランは激しい興奮を覚えていた。事前の予測を上回る何かとてつもない出来事が、いま目の前で起きつつあると感じていたのだ。

便利屋のひとり、スペイン人のミゲルは日本軍の爆撃機を食い入るように見つめていた。祖国の内戦にパイロットとして参加した彼は、上空で繰り広げられる巧みな連携攻撃に強い感動を覚えていた。
「内戦の時、彼らが味方してくれていれば、今頃スペインも違った国になっていただろうに…。」
しかし、それは叶うはずもない嘆息であった。

岩野は便利屋仲間のシュルワッツと日本から来た舞子の姿が見当たらない事に気が付いた。さっきまではアラン達フランス軍と一緒にいたようであったが、そのアランは意味不明な叫び声を上げて走り去ってしまっていた。

地面の陥没に巻き込まれたシュルワッツは顔面を襲う激しい痛みで目を覚ました。その刹那、祖国に残してきた孫娘の顔が彼の視界に飛び込んで来た。軍事顧問としてスペインに招かれて以来、決して会うことのなかった家族の顔が、走馬灯のように蘇る。
「いろいろあったが俺もここで終わりか。結局国に帰ることはできなかったが、もうじき家族のみんなにも会える…。」
彼のいたポーランドの町はドイツ軍の攻撃によって完全に破壊されてしまっていた。おそらくは残して来た家族もみな…。

シュルワッツはスペインの内戦が終わった後も、すぐにポーランドに帰ることをしなかった。軍事顧問としての待遇に居心地の良さを感じていた彼は、何となく帰国を先延ばしにしてしまったのだ。そのため、自分がいない間に祖国がドイツに侵攻されたことに、シュルワッツは強い責任を感じていた。しかし実際それはその通りなのであった。ポーランドへの侵攻にあたって、ヒトラーは著名な戦略家であるシュルワッツが最大の脅威になると考えていた。そのため彼は、スペインのフランコ将軍にシュルワッツを軍事顧問として招き入れるよう進言していたのだ。そうすることでポーランドにおける勝利を確実なものにしようと考えたのだ。そして実際、それはヒトラーの思惑通りに運んだのだった。

舞子はシュルワッツの顔面を殴り続けていた。平手打ちから始まって、いつしかそれは正拳突きに変わっていた。それは舞子が幼いころから通っていた空手道場で身に付けたものだった。土砂に埋もれたシュルワッツを掘り起こした時、彼は既に琴切れているようだった。昂る感情を抑えきれず、舞子は泣きながらシュルワッツの頬をなぐり続けるのだった。
激しい痛みで意識を取り戻したシュルワッツは、自分達がさっきまでいた渓谷とは全く違う場所に置かれていることに気がついた。夢を見ているのだろうか、いや、顔面に残る激痛は明らかに現実のものだ。隣にいる舞子もひどく戸惑っているようである。辺り一面は木々に覆われており、周囲は穏やかな陽の光に満たされていた。朦朧とする意識の中、シュルワッツは、自分たちがアダムとイヴのいた楽園に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥っていた。


岩野とミゲルは行方の分からない舞子とシュルワッツを探していた。爆撃隊の去った渓谷は彼らが最初に訪れた時の静寂さを取り戻しており、そこには数台の重機が乗り捨てられていた。重機の操縦者達はどこへ行ってしまったのだろう。あまりの恐ろしさに逃げ出してしまったのか。置き去りにされた重機を覗きこむとミゲルは引き込まれるようにしてその中に乗り込んでしまった。複雑な外観とは裏腹にその操縦は意外なほど容易であった。各機器の操作性も滑らかで、さすがはドイツ製と言ったところである。ミゲルは一発でこのマシンに惚れこんでしまった。
一方の岩野はと言えば、こちらは少々手擦っていた。帝国陸軍、それも歩兵連隊出身の岩野は自動車の運転すらままならなかったのだ。
エンストを繰り返す岩野を尻目に、ミゲルはひとり陥没した地面の底へと降りて行った。底には先程見えていた甲板が広がっており、地面の陥没によってできた断層には甲板につながる通路のようなものが見えていた。ようやく動き出した岩野を待って歩き出した2台の重機は腹部にある投光器を点けて通路の奥へと差し向けた。だが通路はかなり奥まで続いているようで、重機の大型投光器をもってしても奥の方は暗くてよく見えない。二人は意を決して通路の奥へ進んでいった。暗い通路に2台の重機の足音が響く。だがしばらく進むと岩野達は何とも言えない違和感を覚えはじめた。
「ミゲル、気づいているか?」
「あ、ああ、何となくな。妙にしっくりくると言うか、その、サイズがな…」
その通路は明らかに人間を超えるサイズのモノに合わせて造られていたのだ。二人の脳裏に渓谷で見たあの恐ろしい「神の像」がよぎる。しかしそんなことは絶対にあり得るはずはないと思いたい気持から、岩野達は必死に別の理由を探そうとしていた。だが、そんな二人の思いを吹き飛ばすような、またしても衝撃的な光景が彼ら二人の前に現れてしまうのだった。

CHAPTER7/1941/Kampf Riesen Mars

攻撃の最中、敵からの反撃は無かった。投弾を終えた艦爆隊にも目立った損害は見当たらない。帰還の途につく零戦の中、中嶋は先程まで自分達が攻撃していた「敵」のことを考えていた。
「土煙の中に見えた巨大な甲板、あれは一体何だったのだろう。本当に連合軍が造ったものなのだろうか?」 中嶋にはどうしてもあれが自分たちと同じ人間が造ったもののようには思えなかった。その思いはこの空域を支配する異常な気配を通じて無線機を持たない僚機にも伝わっているようだった。
どれくらい経っただろう。中嶋達は永遠に続くかのような砂漠の上を飛び続けていた。帰還予定時刻を1時間近く過ぎているにもかかわらず、一向に基地らしいものは見えて来ない。いかに航続性能に優れた零戦でも、もうそろそろ限界である。中嶋は乗機を後に滑らすと後続する僚機に手信号で合図を送った。
「着陸出来そうな場所を見付け次第、隊を離れて不時着する」
中嶋は、開戦間もないこの時期に優秀なパイロット2人を同時に失うことなど絶対あってはならないと考えたのだ。程なくすると2時方向に滑走路らしきものが見えて来た。それは今朝中嶋達が発進した飛行場とは明らかに違うものであったが、今の彼らに着陸を躊躇している余裕はない。中嶋はバンクを振って合図をすると乗機を緩やかに降下させた。着陸コースに入るため3機の零戦は風下側に回り込む。しかしそこで中嶋は信じられない光景を目撃する。着陸すべきその滑走路があろうことか宙に浮かんでいたのだ。
「いよいよもってこれは…」
中嶋は先程から抱いていた疑惑の念が今はっきりと確信に変わるのを感じた。振り返ると後続しているはず僚機の姿がどこにも見当たらない。燃料が尽きて墜ちてしまったのだろうか。いや、そうではなかった。彼らは既にその「滑走路」に着陸していたのだ。それどころか機から降りてこちらに手まで振っている。何とも呆れた連中である。しかし中嶋はそんな彼らを見て少し頼もしい気持にもさせられるのであった。

CHAPTER8/1941/Kampf Riesen Mars

通路の行きついたその場所は古代ローマの円形競技場( コロッセオ )によく似ていた。中央に置かれた祭壇には、またしてもあの恐ろしい「神の像」が鎮座している。しかしそれは先程渓谷で見たのとは明らかに質感が異なっており、何らかの金属で造られていた。
事態は今やスペインの田舎町に暮らす一便利屋の頭では到底理解できない領域へと突入していた。今岩野達が足を踏み入れたこの空間と、そこに鎮座する「神の像」はおそらく自分たちと同じ世界に住む人間が作ったものではなかった。それはどこか違う世界の誰かが意図的に残していった物であるように思われた。もちろん岩野とミゲルがその意図を理解することなどできるはずがない。それを知りたいと思っている者、おそらくは舞子の婚約者であった金子大助や、あのフランス人のアランであればそれを理解できたのかもしれない。しかし今、彼らはここにいないのだ。岩野はスペインの刑務所で金子から聞かされた話を必死に思い出そうとしていた。
「確かあの時、地下の広間がどうとか言ってたよな。いや火星の洞窟の話だったか。何かこれに似た事を言ってたような…もうちょっと真剣に聞いときゃ良かったな」
…ちょっと無理そうであった。

CHAPTER8/1941/Kampf Riesen Mars

重機を降りたミゲルは祭壇に鎮座する「神の像」へと近付いて行った。間近で見るそれは初めて見る質感を備えており、まるで生きた金属を纏っているかのようだった。
「生きているのか?」
そう尋ねる岩野の言葉が自然に聞こえる程、それは今にも動き出しそうなオーラを放っていた。巨人の背中からは太いケーブルが伸びており、それはそのまま祭壇を取り囲む石の箱へと繋がっていた。箱には重そうな石の蓋が載せられており、そこには奇妙な文様が描かれていた。よく見ると広間のそこ彼処にも同じ文様が描かれている。ミゲルに続いて重機を降りた岩野は、足元にあった石の箱に手を伸ばした。
「やめておけ!」
蓋を開けようとした岩野に突然鋭い叫び声が浴びせかけられた。咄嗟に振り向いた岩野が見たのは、こちらに向かってライフルを構えるアランの姿だった。日本軍の爆撃以来姿を消していた彼が一体ここで何をしていたのだろう。状況が飲み込めない岩野の横で、今度はミゲルがアランに咬みついた。
「何だここは!このおかしな像は一体何なんだ?何をこそこそやってやがる。金でも隠してやがったのか?答えろ!お前は一体何者なんだ!」
スペインを出てからこっち、ずっと抑えていた恐怖と疑念でミゲルの怒りは今や最高潮に達していた。彼にしてみれば祖国の内戦が終わってようやく手に入れた平穏な日々が、突然現れたSSや、この正体不明のフランス人達によっていとも簡単に奪われてしまったのだ。ミゲルの頭は怒りと悔しさで今や爆発寸前の状態だった。
ミゲルの思わぬ反撃にアランが一瞬たじろいだのを見ると、岩野は足元にあった箱をおもむろに開けて放ってしまった。だが次の瞬間そこに現れた光景を見て、岩野は思わず腰を抜かしそうになってしまった。
「何なんだ、これは…」
その箱は見た目通りの石棺であった。しかしそこに納められていたのは遺体とは程遠い代物−簡単に言えばそれは生きたままの人間であった。だがそれは正確には生きていない。何と言うかそれは胴体と首が切断されたまま生かされている「かつて人間だったモノ」であった。頭部と首からは太いケーブルが伸びており、それは胴体を通って石棺の内壁へと繋がっていた。両手両足は切断されており、その断面には金属製のキャップがはめ込まれている。だがそんな状態にもかかわらずその「人間」は呼吸をし、両方の目がじっと岩野の方を見つめているのだ。
義勇兵として戦ってきた岩野にとって、死体を見ることくらい別にどうと言うことでもなかった。もっと酷い死に方をした戦友も数多く見取ってきた。しかし今回ばかりは勝手が違う。確実に即死であるはずの人間が、死ぬことも許されないままこの狭い箱の中で生かされ続けているのだ。岩野は慌てて重機に乗り込むと、込み上げてくる恐怖を必死に押し殺した。
「だからよせと言ったんだ」
先程とは違って、やや呆れた口調でアランが話し始めた。
「そこにあるのは食糧、いや正確には燃料と言った方が良いでしょう。金子からは何も聞かされていなかったのですか?いかにも彼らしい、肝心な事はなるべく話さない。昔からそう言う男でした。もっとも君達日本人はみな同じようなものですがね」
アランの人を喰ったような物言いに若干の怒りを覚える岩野とミゲルであったが、今目の前に広がっているこの光景の前ではもはやそんなことはどうでも良かった。いずれにしてもここから抜け出す方法は、このアランに聞く以外にはなさそうだ。聞きたいことは山ほどあった。しかし今の彼らには、とにかくここから逃げ出す事の方が何よりも大事な事であった。岩野に続いて重機に乗り込んだミゲルは、37o砲をアランに向けると今度はゆっくりとした口調で話し始めた。
「これがどんなに普通じゃないか、素人の俺達にでも十分わかる。お前が企んでいることが何であれ別にそれを責めたりはしない。所詮おれたちには関わり合いの無い事だ。だからもうこれまでだ。何も見なかったことにしてやる。その代わり今すぐここから出る方法を教えろ。返答次第ではお前もこの棺桶に入ってもらう。それまでの事だ」
ミゲル達が入ってきた入口はいつの間にか消えて無くなっていた。不敵な笑みを浮かべるアランの後でも先程までは確かにあった入口が今は無くなっているのだ。岩野とミゲルはこの広間そのものが巨大な生き物の一部であるような感覚に襲われていた。
「出口ですか、そんなもの私にも分かりません。この舟がどこに向かっているのかさえ全く見当もつかないのですから」
そう話すミゲルの言葉に今度は岩野が咬みついた。
「ちょっと待て。今船って言ったよな。船って何のことだ。俺たちは今船の中にいるのか?おかしいじゃないか、ここは砂漠の真ん中なんだぜ。何で船が丘の上にあるんだよ。馬鹿も休み休み言え」
「そうですね、日本人であるあなたにはおよそ理解出来る話ではないでしょう。舟が丘にあること自体ナンセンスです。しかしクリスチャンであるミゲル君であれば “丘の上の舟”の意味が解かるはずです。そうではないですか?」
そう答えるアランにミゲルの方を振り向いた岩野は、暫くして重機の無線機からうめき声にも似たミゲルのつぶやきが聞こえてくるのを聞いた。
「方舟…ノアの方舟のことか…」

CHAPTER9/1941/Kampf Riesen Mars

舞子達は森をさまよい続けていた。人の気配はどこにもなく、あるのは穏やかな日差しと動物達の息づかいだけだった。満ち足りた時間だった。半年前に日本を離れて以来、初めて味わう安らぎがこの森には溢れていた。
「ここは一体何てところなんでしょう?世界にはまだ知らないところが沢山あるんですね」
だがシュルワッツが舞子の問いに答えることはなかった。シュルワッツは今朝からここに至る経緯をずっと思い返していたのだ。舞子に殴られて瀕死の状態に陥ったりもしたが、それまでのことは良く覚えている。問題はその後だ。おそらくここは地下のはずだが、なぜここにはこれほどの森が広がっているのだろうか。
「地下ではないのか?」
しかし地上でもないようだ。なぜならここから見える青空にはどこにも太陽が見当たらないのだ。周囲の状況が掴めない事にシュルワッツは得も言われぬ恐ろしさを感じていた。
「あの崖の上まで行ってみましょう。ここがどこだか分かるかもしれませんよ」
そう言ったのは舞子だった。シュルワッツの気持ちを察した舞子が少し機転を利かせたのだ。

見晴らしのきくその崖に辿り着いた時、辺りはすっかり暗くなっていた。太陽は無くとも時間が来れば夜になる。それは何となく嘘くさいカラクリのようにも思われた。崖から望む二人の眼下には漆黒の森が広がっていた。
「あれは何でしょう?」
舞子の指さした方に双眼鏡を向けたシュルワッツは、そこに巨大な建物を発見する。それは古びた塔(タワー)であった。遙か星空へと伸びるその姿は旧約聖書に登場するバベルの塔を連想させた。
( タワー )の麓に目を移したシュルワッツは、そこに異様な光景を目撃する。数万もの群衆が塔の周りを回っていたのだ。それはシュルワッツがかつて見たあの忌まわしい光景にも良く似ていた。
「ヒトラーに群がるドイツ人だな」
そう吐き捨てたシュルワッツの顔は激しい憎悪に歪んでいた。シュルワッツにはここに集まった人々の群れがナチ党の集会で熱狂するドイツ人の姿と重なって見えたのだ。
御神輿( おみこし )はどこだろう?」 舞子はちょっと興奮していた。これだけの人が集まるのなら、きっとこれはお祭りに違いない。舞子は地元のお祭りを思い出して、いても立ってもいられなくなっていた。
「シュルワッツさん、ちょっとあそこまで行ってみましょうよ。御神輿はないかもしれないけど、夜店くらいはあるかもしれませんよ。ちょっとおなかも減ってきたことだし。あの人たちに聞けばここがどこかも分かるかもしれませんよ」
舞子の話す言葉の意味をシュルワッツは1ミリも理解できなかった。それにヒトラーの幻覚を見ているようで、シュルワッツは正直タワーには近づきたくなかった。だが舞子の言う通り、ここがどこなのかを確かめるには誰かに尋ねてみるのが一番である。舞子に手を引かれて渋々歩き出したシュルワッツは、自分の中にある不安な気持ちが彼女の手のぬくもりによって少しずつ溶かされてゆくのを感じた。
30分ほど森を歩くと向こうの広場に( タワー )の麓が見えてきた。塔に群がる人々は口々に同じ言葉を叫んでいるようで、中にはトランス状態に陥った者の姿も見られる。それは異様な光景だった。ここがドイツであったなら、人々が叫ぶその言葉は当然「ジーク ハイル!」であっただろう。しかしここでは違っていた。それは言葉ではなく、声ですらなかった。何と言うかそれは上手く聞き取ることのできない奇妙な『音』のようなものだった。
「シュルワッツさん、あれはどこの言葉ですか?」
「さぁ、少なくとも私の知っている言語の中でこれと似た音を持つ言葉はありません。アフリカの現地語ですかね。それこそ日本の言葉ではないのですか?」
群衆の発するその『音』には、人々の「想い」や「意思」のエネルギーが込められているように感じられた。
暫くすると、中央の塔が鈍く輝き始めた。それはまるで人々の発するその『音』にこの塔が反応しているかのようであった。最初、下の方に溜まっていたその光は徐々に上へと広がって行くと遂には塔全体が白く輝き始めた。群衆のボルテージは今や最高潮に達していた。遠巻きに見ていた舞子とシュルワッツは次の瞬間、耳を劈く大音響と共に放たれた稲妻のような光が放たれるのを目撃した。それは圧倒的な光景だった。そのあまりの迫力に舞子達は思わずその場にヘタリ込んでしまうのであった。

CHAPTER10/1941/Kampf Riesen Mars

重機の狭い操縦室の中、岩野は鼻を突く血の匂いで目を覚ました。気が付くと眼の前が血の色で染められている。視界に入る全てのものが血のような赤い光を発していたのだ。
「これは一体…」
ハッチを開けてミゲルの方を振り向いた岩野は、そこに衝撃の光景を目撃する。ミゲルの重機が下敷きになった石棺から赤い液体を吸い上げていたのだ。石棺に入っていたのはあの「人間だったモノ」のはず。となれば、今重機が吸い上げているのはそのモノの血、つまりは人間の「血」であるはずだ。岩野は恐ろしくなって乗っていた重機から転げ落ちた。
「吸血鬼ならぬ吸血マシンとはな」
声を掛けたのはミゲルだった。岩野と同じく重機から降りていたミゲルは、タバコを咥えて余裕あるそぶりを見せてはいたが、その表情には明らかに困惑の色が滲んでいた。
暫くすると、広間に置かれた無数の石棺が鈍い光を放ち始めた。その光は石棺を結ぶケーブルを伝わって中央に鎮座する「神の像」へと注がれて行った。
「こいつ、まさか動き出す訳じゃないだろうな」
光を吸収した「神の像」は低い唸り声を上げると、小刻みにその指を動かし始めた。
「あの爪を見ろ、あんなものに刺されたらひとたまりもないぞ。このままじゃ俺たちも殺されちまう。ミゲル、今のうちに逃げるぞ!」
それは当然の判断だった。このありえない状況の前では誰もがそう考えるはずだった。しかしミゲルだけは違っていた。
「…()る…。まだ上手く動けない今がチャンスなんだ。やられる前に俺は()るぞ!」
度重なる恐怖と怒りでミゲルの思考は少しおかしくなり始めていた。ミゲルは再び重機に乗り込むと、重機の持っていた37o砲を「神の像」へと振り向けた。ハンドル中央の点滅はもうない。さっきまで感じていた妙なプレッシャーも今は感じなくなっていた。ミゲルにつられて重機に乗り込んだ岩野も、操縦室に充満していた血の匂いが無くなっている事に気付いた。生き血を吸う機械など正直触りたくもなかったが、一旦乗り込んでしまうと、そこは先程までとは違う居心地の良さに満たされていた。何者にも冒されない絶対の安心感。それはまるで母親の胎内に戻ったかの様な居心地であった。

CHAPTER2/1941/Kampf Riesen Mars

滑走路に降り立った中嶋達は奇妙な感覚に襲われていた。
「空中空母…」
それはそうとしか言い表せない様なモノだった。着陸して初めて分かった事だが、この滑走路は単なる飛行場のそれではなかった。長さ500m。中攻(注1)の離陸にも使えそうなこの滑走路は、巨大な空母の1エレベーターに過ぎなかった。ゆっくりと降下していく滑走路の上で、中嶋は自分達が小人にでもなったかの様な錯覚に陥っていた。格納庫と思われる階まで降りていくと、そこには見たこともない円盤型のマシンが並んでいた。
「小隊長殿、あれは航空機でありますか?」
「ペラも翼も付いてないが、取り敢えずそんな雰囲気ではあるな」
「それにしてもデカイですね。97大艇(注2)の倍以上はありますよ、こりゃ」
とにかくこれが連合軍の作った新兵器などではない事は明らかだった。明確な証拠がある訳ではない。しかしこの「マシン」からはそう確信させるに足る異様なオーラが放たれていた。しかし驚いてばかりもいられない。今一番問題なのは自分達の乗っていた零戦の燃料が尽きかけている事である。それさえ解決してしまえば、何もこんな奇妙な「空母」に長居する必要もないのだ。中嶋達は居並ぶ円盤型航空機からガソリンを抜き取って零戦に移し替える方法を探っていた。幸い給油口らしきものはすぐに見つかった。これが航空機であるのなら、恐らく燃料はガソリンである。となれば、後はポンプさえあればこれを零戦に移し替えることも出来そうだ。しかし給油口のキャップを外して中身を覗き込んだ中嶋はその途端、着陸前に食べた航空弁当の巻きずしを思わず全部吐き出しそうになってしまった。
「血だ…。こいつは血で動いてやがる」
中嶋に続いてタンクを覗き込んだ僚機の2人も、そのありえない光景の前に言葉を失った。
「隊長、これは一体どう言う事ですか…」
「分からん。この空母の事と言い、何もかもさっぱり解らん。しかしこれが俺達と同じ人間が造ったものでない事だけは確かだろうな。そうでもなければこんなモノは…」
血の力で動くマシン。それは人間の理解をはるかに超えた「魔性の兵器」と呼ぶにふさわしい代物だった。


(注1)
中攻=日本海軍では洋上艦艇を攻撃可能な爆撃機を陸上攻撃機と呼んだ。中攻は中型陸上攻撃機の略で、主に97式陸上攻撃機、一式陸上攻撃機を指す。
(注2)
97大艇=川西航空機製の大型飛行艇。4発の発動機を持つその体躯は1941年当時、帝国海軍航空隊随一の大きさを誇った。

CHAPTER13/1941/Kampf Riesen Mars

シュルワッツはさっき見た稲妻の事を考えていた。普通、稲妻は空から地上に落ちるものだが、先程のそれは地上から空に「落ちて」行った。となれば、稲妻が達したその先には地上と同じような地面かそれに代わるようなものがあるはずだ。シュルワッツはそう考えたのだ。
一方の舞子はここに集まった人達の事が気になっていた。どうやらこれが単なるお祭りではなかったことは理解できた。だが今ここにいる人達は一体どこから来たのだろう。舞子はその事が気になっていた。
「きっと近くに町があるんですよ、シュルワッツさん。それもかなり大きな。そうでなければこれだけの人は集まりませんよ」 舞子の言う通りだった。見たところ、この塔に集まった人達の数は優に5万人を超えていた。それはシュルワッツのいた町の人口をも遥かに超える数だった。舞子とシュルワッツは森の中へと消えて行く群衆を追って足早に歩き始めた。しかし塔の入口に差し掛かったところで、シュルワッツはそこに描かれた絵を見て思わず立ちすくんでしまった。
「火星の神…」
そこには、飛行機を降りて最初に見たあの奇妙な岩絵が描かれていた。偶然ではない。この絵は明らかに同じものを描いている。となればこの奇妙な姿をした「人物」こそが彼らの崇める「神」なのだろうか。シュルワッツはその見慣れない「神」の姿を見て、何とも言えない奇妙な胸騒ぎを覚えた。
舞子はひとり森の奥へと入って行った。森の木々は月明かりを遮り、辺りは漆黒の闇と化していた。その時、森の奥に微かな光が灯った。それは人家の明かりのようでもあった。
「シュルワッツさん、あそこに家がありますよ。この先に町もあるんじゃないですか。早く行ってみましょう。あれ?あ!あ、あーー!!」
舞子の叫び声に振り向いたシュルワッツは、目の前に広がった光景を見て思わず息を呑んだ。
「何なんだ、これは…」
それは光り輝く街だった。漆黒の暗闇に突然あらわれた近代的な街並み。いや、むしろそれは未来的と言った方が正しかった。全ての建物は森の木々を超えないようにその高さを抑えられており、美しく舗装された道路がそれらの間を繋いでいる。街は塔を中心に放射状に広がっており、歩道と車道は完全に分けられていた。奥へと伸びる車道は半地下式に造られており、そこには路面電車や見慣れない自動車が滑るように走っていた。歩道には色鮮やかな服を着た人々が行き交い、彼らはみな楽しそうな笑顔を浮かべていた。街全体が森に溶け込むように造られていることから、この街がよく計画されて造られたものであることは誰の目にも明らかだった。
「バウハウスが造りたかったのは、きっとこんな街だったんだろうな」
それはドイツを憎むシュルワッツにしては意外な独り言でもあった。
一方、舞子のテンションは今や最高潮に達していた。元々横浜育ちの彼女は幼いころから港に出入りする外国船やヨーロッパの進んだ文化に強い憧れを持っていた。婚約者を捜すためとは言え、舞子が独りスペインにまでやって来たのも、そんな憧れのなせる技であったのかも知れない。そんな彼女の前に、突然色鮮やかな服を着た人々や光り輝く街が現れたのだ。舞子はシュルワッツの手を掴むと、信じられない強さでその腕を引き寄せた。
「早く行きましょう。ここが何て街かは知らないけれど、きっと素敵なところですよ。だってあんなに輝いている街なんて私、今まで見たこともない。何か食事が出来るところもありますよ、きっと。さあ早く!」
そう言ってはしゃぐ舞子の顔に婚約者を失った悲しみの影はもうどこにも見当たらなかった。シュルワッツにとってそれは自分の孫娘にも似たこの少女が、スペインの港町で会って以来初めて見せる楽しそうな笑顔でもあった。

CHAPTER14/1941/Kampf Riesen Mars

ミゲルの放った徹甲弾は全て巨人に弾かれていた。それでもなお「神の像」へと突進して行くミゲルを見て、岩野は心底感心した。3年以上戦場から離れている今の岩野に、帝国陸軍仕込みの突撃精神はもはやどこにも残っていない。それにもまして今回は相手が悪過ぎる。どうすればこの巨人を倒せるのか、岩野には全く見当がつかなかった。しかし、いっぱい一杯なのはミゲルの方も同じだった。彼は単に行動のベクトルが岩野の逆に働いているだけで、実のところ本当にこの巨人を倒せるとはこれっぽっちも思っていなかった。
その間にも、ケーブルを伝った鈍い光が「神の像」へと注がれ続ける。よく見るとそれは血管のように脈打っていた。この巨人の放つ異様な殺気は今やこの「コロッセオ」全体に広がっていた。それはこの巨人の吐き出す「息」によるものであったのかもしれない。
「打つ手なしだな…」
「神の像」の目の前まで来て、ミゲルの重機が突然その足を止めた。彼の異常な戦意をもってもこの巨人の放つ強大な殺気には叶わなかったのだ。もはやこれまでかと思われた。だが次の瞬間、この巨人の背後から岩野の重機が突然襲いかかった。 「動脈だ!このケーブルを引きちぎれば、こいつは簡単に殺せるぞ」
石棺の生き血を吸ってパワーの増した岩野の重機は呆気なくそのケーブルを引きちぎった。その刹那、悲鳴のような無数の『音』と幾条ものまばゆい光が巨人の背中とケーブルから吹き出してきた。
「何だ?これは」
「耳が痛い…。頭が、頭が破裂しそうだ!」
そこには舞子とシュルワッツがあの塔で聞いた奇妙な『音』と眩い光が飛び交っていた。数万の「声」と無数の「意思」が一瞬にして岩野達二人の意識に飛び込んで来たのだ。重機の中でなかったら、恐らく彼らは即死だった。それ程の衝撃が彼ら二人を襲ったのだ。
「床が抜けるぞ!」
ミゲルの叫び声が聞こえた時、岩野は空中へと投げ出されていた。落下して行く重機の中、岩野は自分達のいた場所を初めて外から確認した。
「方舟…。」
それは初めて見る船だった。巨大な船体を見上げながら、岩野はなぜ自分がそれを「方舟」と思えたのかが不思議でならなかった。アランに言われたせいなのか。だが感慨にふけっている時間はない。今この瞬間にも彼らを乗せた重機は地面に向かって落ち続けているのだ。
「ケーブルだ、ケーブルを離すな、イワン!」
岩野はミゲルからイワンと呼ばれていた。その度にロシア人ではない岩野はイラっとさせられていたのだが、今はそれどころではない。今や方舟から繋がったこのケーブルだけが彼らの命綱になっていた。眼下には漆黒の森が広がっている。しかしそこに巨大な影が現れた。それはあの塔の影だった。舞子とシュルワッツのいた塔が彼らの真下にあらわれたのだ。落ちてゆく二人の足元に塔の屋上が迫る。だが次の瞬間、重機の掴んだケーブルが目いっぱいに伸び切った。間一髪だった。このケーブルがあともう少し長かったら、彼ら二人は確実にこの屋上に叩きつけられていた。ケーブルがあと1m長かったなら…。 動揺が収まったのを確認して、2台の重機は塔の屋上へと降り立った。そこは屋上と呼ぶにはあまりにも広い空間だった。床は鏡のように磨かれており、継ぎ目らしいものはどこにも見当たらなかった。
「あれを見ろ、またここにも居やがるぜ」
ミゲルの指さした先にあったのは、またしてもあの忌まわしい「神の像」だった。しかしそれは今まで見たものよりかなり大きいようで、長い尾を持つその姿は人間というよりも狼のそれによく似ていた。この「巨人像」は屋上の四隅に一体ずつ据えられており、空に向けてその尾っぽを付き立てていた。ミゲルはその事に別段意味があるとは思わなかった。しかし岩野は違っていた。方舟の中で「神の像」を倒した事が、彼に失った自信を取り戻させていた。自信は恐怖に打ち勝つ武器になる。岩野はここに至ってようやく持ち前の洞察力を発揮し始めた。
『四隅の像はどれも尾っぽを空に向けている。方舟がその上にあるのは偶然ではないな。あの中にあった「神の像」はケーブルの光と奇妙な『音』を吸い込んでいた。それは奴のエネルギーになるもののようであったが、それを吸ってあの巨人が動き出すことはなかった。となると、あの「巨人」はそのエネルギーを中継する役割をしていた事になる。ならば、ここにある4体の像も『音』と光を中継する為に据えられているのだろう。尾が方舟の方を向いているのはこの塔から吸い上げたエネルギーを方舟に飛ばすためだ。』
それはあくまでも岩野の考えた仮説に過ぎなかった。しかしそれは大筋において真実の一端を突く鋭いものでもあった。

CHAPTER15/1941/Kampf Riesen Mars

「潮の匂いがする」
そう言われたシュルワッツは慌てて辺りを見回した。彼の育ったポーランドではこんな深い森のそばに海があることなどありえない。森は森、海は海なのだ。しかし舞子のいた日本では違っていた。山がちな地形の多い彼女の国では、森を抜けた先が海になっていることも決して珍しいことではなかった。
「さっきのレストランで食べたお魚、とても美味しかったでしょう。塩加減もちょうど良かったし。何て魚かは良く分からなかったけど、あれはきっとこの近くで獲れたものですよ。でなければあんなに新鮮で美味しいはずがないですもの。きっとこの近くに港があるんですよ。ひょっとしたら横浜みたいに大きい港かもしれない。そうだとしたらいいのになぁ」
そう話す舞子の瞳は今まで以上に輝いていた。
森の向こうには緩やかな斜面が広がっており、そこにはホテルのような建物が並んでいた。ホテルと海の間には大きくはないが、それでも良く整えられた美しい街並みが続いており、その先には舞子の予想した通り大きな港が設えられていた。
「ほら、言った通りでしょ」
この森に入って以来、シュルワッツはめまぐるしく変わる周囲の状況について行けなくなっていた。歳のせいか、彼は初めて目にする物を上手く吸収できなくなっていた。となりではしゃぐ舞子を見て、シュルワッツはあらためてその事を実感させられていた。
「見て、あそこに大きな船がある。暗くて良く見えないけど、あの煙突に描いてあるのって日本語みたい。あれって日本の船かしら」
それは日本から来た移民船であった。良く見ると港のそこ此処に似たような船が停まっている。それらはどれも大きくはあったが、決して立派と言えるものではなかった。
「シュルワッツさん、あそこ。沖の方にもいっぱいいますよ。みんな入港の順番を待っているのかしら」
双眼鏡を覗いたシュルワッツはその数を数え始めた。
「1、2、3、4、5…10…15…、50隻以上はありそうだ。しかし一体どこから来んだ。国旗を見る限り日本の船だけじゃないようだが…」
日本、イタリア、ドイツ、スペイン、ポルトガル、中国、フランス、ソ連。それこそ世界中の人々がこの美しい港を目指してやって来ていた。彼らにとってここはそれ程までに魅力的な土地なのだ。だが、確かにそれは頷けた。舞子とシュルワッツが迷い込んだこの街は、世界中の人々を引き付けるに足る十分な魅力を持っているように思われた。
「私、出来れば日本の船に乗せてもらいたいな。そうしたらきっと日本にも帰れるでしょ。この街はすごく素敵だし、もっとここにもいたいけど、やっぱり私、父さんや母さんの事が気になるわ」
それはもっともな考えだった。しかし日本からやって来たこの少女は自分の婚約者探しに協力してくれた岩野とミゲルの事を完全に忘れているようだった。二人の行方は未だ分からないままなのだ。その事に気付いたシュルワッツは少し意地の悪い言葉を舞子に投げかけた。
「日本はアメリカと戦争を始めました。ここが海を隔てたアフリカである以上、例え日本行きの船に乗れたとしても、無事日本に帰り着けるとは限りません。恐らく途中で沈められてしまうでしょう。岩野とミゲルが後でその事を知ったら、彼らはきっと悲しむでしょうね。それにアメリカの国力を考えれば、日本は既に占領されているかもしれない。あなたはそんな所に本気で帰ろうと言うのですか?」
そう話すシュルワッツの言葉に反応したのは、なんとその岩野だった。「塔(タワー)」を降りて森をさまよっていた岩野とミゲルが舞子達を見つけて合流して来たのだ。
「今のは聞き捨てならないな、シュルワッツ。日本がアメリカごときに負けるなんて。いいか、日本は神国、神の統べる国だ。神様がヤンキーに負ける訳ないだろう。そんな事は断じてあり得ない。分かったな。分かったら俺の前で二度と同じ事を言うなよ!」
実のところ、この辺の話は岩野との間では禁句になっていた。何事も合理的に考えられる岩野であっても、こと祖国日本の話となるとおよそ狂信的な事を話し始めるのだ。しかしそれは岩野が取りたてて特別な訳ではなかった。それは程度の差こそあれ日本人なら誰でも持っている、いや祖国を離れたものであれば誰もが持っている愛国心と言う名の「信仰」であったのだ。
意外にも、舞子はシュルワッツの話を良く理解しているようだった。それは半年に及ぶ船旅の経験が、彼女をして日本に帰ることが容易ではない事を分からせていたようだった。
「いずれにしろ船は無理だな。あそこを見てみろ」
ミゲルの指さした方を見ると、そこには今まさに上陸を開始したドイツ軍機械化部隊の姿があった。その襟元には、東部戦線を恐怖に陥れたSSのマークが縫い付けられている。シュルワッツは全身に電気が走ったような緊張に襲われた。岩野とミゲルは戦車に続いて降ろされたドイツ軍のマシンを見て動揺した。
「重機だ。奴ら人型重機まで装備してやがる。それに奴の持っているあのデカイ大砲は何だ?」
「88o砲(アハトアハト)か。俺たちの豆鉄砲とはだいぶ違うな」
事態は今や急激に動き始めていた。ここが何処の何て街かは分からないが、上陸してきたSS1個中隊に対抗できる戦力をこの街の連中が持っているとは思えない。いや、むしろここには戦争とは関係のない、平和と繁栄を享受する恵まれた市民の姿しか見られないのだ。早ければ今夜中にも、SSによる占領は完了してしまうかもしれない。とにかく今はここを離れて森に逃げ込んだ方が良さそうだ。ミゲルと岩野は先程乗り捨てた重機を取りに森の奥へと戻って行った。
「シュルワッツさん、ドイツと日本は同盟を結んでいるんですよね。だったら私、あの人達の所に行ってきます。日本人だと分かればきっと話を聞いてくれるんじゃないですか。SSと言っても同じ人間なんですから、話をすればきっと分かってくれますよ」
そう話す舞子の言葉に、シュルワッツは何とも言えない説得力を感じていた。
「同じ人間…か」
何てことないその一言が、今のシュルワッツにはこれまでにない重みを持っているように感じられた。それは人間ではないモノの影が見え隠れしているこの状況が、シュルワッツをしてそう思わせているのかもしれなかった。しかし例えそうであったとしても、まだ成人もしていない娘一人をSSの部隊に向かわせる事など出来る訳がない。少なくともそれは良識のある大人がすることではないはずだ。
シュルワッツは舞子の腕を後ろから掴むと岩野達を追って森の奥へと走り始めるのだった。

つづく