1945/Kampf Riesen Mars

※毎月25日更新

戦艦 信濃

艦首にあるべき菊花紋章はなく、前甲板にあるはずの副砲もない。後部甲板の主砲や射撃指揮所もなく、代わりに長大な飛行甲板が造られている。その優美なシルエットはともかく大和型三号艦「信濃」は兄弟艦の二隻とはあきらかに様相の異なる姿で室蘭のドックを出港した。昭和20年(1945年)3月。派手な進水式も行われなかったこの艦は、見送る者もない深夜の港をひっそりと後にした。それはこれから戦場に赴く軍艦としてはあまりにも静かな旅立ちであった。
三月と言えど、北海道は真冬である。空を見上げれば、星明りと水平線に沈みかけた月が見えている。その光景はある意味ロマンチックでもあった。もし、陸地から海を見る者があれば、薄明かりの月を横切る巨大な船のシルエットを目にしたはずだった。それを不吉な死神の姿と見るか、神々しい英雄と見るかは別として。

本来であれば信濃は、戦況の変化を鑑みて空母に改設計されて完成しているはずだった。だがそれは表向きの話。実際には、その計画を隠れ蓑にして「信濃」は計画通り、いや計画以上の性能を持った艦として完成させられていた。

そしてその姿をたった一人見送る者があった。室蘭を見下ろす岬の先端、生い茂る木々に隠れる様にして、その男は出航して行く信濃の姿を見つめていた。水平線の向こうにそのシルエットが消えて行くのを確認すると、男は冷え切った体をいたわりながら、もと来た道とも言えない道を引き返しはじめた。
「予定通りの出航だ。これを報告すれば俺の任務は終わり、もうこんなに寒い思いをしなくても済む」 そうほくそ笑むと、男は寒さしのぎの焼酎をグイっと喉に流し込んだ。寒さから集中力は落ち、酔いがそれを加速させた。結果、男は自分を見つめる監視の目があることに最後まで気づくことはなかった。


その優美な外見とは裏腹に、信濃の艦内は騒然としていた。航海長の速水が不安げな顔で艦長の田代に話しかける。 「現在の航路で間違いありませんか」
通常であれば出航後は潜水艦からの攻撃を避けるため、しばらくは海岸線に沿って航行を続けるものである。ところが信濃は港を出ると、いきなりその舳先を外洋へと差し向けたのだ。
「司令部は何を考えているのでしょう」
それは速水の心情を察した副官島村の言葉だった。だがそれはすべての乗組員が抱く疑問の言葉でもあった。単艦での出撃とは言え、艦長が艦隊司令を兼任するということ自体異例である。しかし異例なのはそれだけではない。艦の乗船人数は定員の半分以下で、操艦訓練や各種武装の試射さえも行われていない。それどころか主砲とわずかな対空砲以外は艤装すら施されていない。いくら大きいとは言えそんな未完成の艦を随伴艦の一隻も付けずに出撃させるとなれば、「沈みに行け」と言われているようなものである。
田代の最初の仕事はそのような状況下にあって、兵達の士気を落とさずに作戦に従事させることであった。
『軍規には触れるが作戦内容をばらすか。ここまでくれば機密が外部に漏れる事は無い。よしんばもれたとしてもそれで戦況に変化がおきるとも思えない。ならば、いっそ知っている事を洗いざらい話してしまおうか』
田代はそう腹を決めた。
「閣下、よろしければ幹部会議を招集いたしますが」
参謀兼副官の島村である。長い付き合いとはいえ、絶好のタイミングでの言葉に田代は改めて島村の機転に舌を巻いた。
「自分もこの作戦、納得しがたいものがあります」
しかし一言多いのもこの男の特徴であった。

信濃の長官公室兼会議室は簡素で必要最低限のしつらえで済まされていた。もしこれが同型艦の大和や武蔵であれば一流ホテル並みの内装が施されているはずである。しかし予算と時間が無い中で建造された「三号艦」となれは贅沢を言うこともできない。大和、武蔵に乗艦した将官からみればそれは貧弱そのものであったが、一度たりとも両艦に乗艦したことのない田代には、大和型に乗って指揮を取るということ自体、既に誇らしい事であったのだ。
『この作戦は己の名誉欲を満たすためだけのものかもしれない。その欲のために部下を死なせることになる。しかし今回の作戦には是が非でも勝利しなければならない。そうでなければ日本が滅ぶ。日本が滅ぶのならば、それは死んでも同じことだ。部下達にはそう思って納得してもらうほかはあるまい。私欲は絡むが帝国軍人のすべてが高潔というわけではない。中には軍需を横領するものもいるし、敵前逃亡するものもいる。そいつらに比べれば、己の名誉の為に戦うことなど、まだましではないか。誰もが山口※1のようになれるわけではないのだ』
田代はそう心の中に言い訳をして、心中わずかにふくらんだ後ろめたさを無理やり押しつぶした。

会議室に集まった面々は事前に知らされていた通りひとくせもふたくせもあるものばかりだった。くせ者であるからこそ、彼らは捨て駒にされ、この作戦に回されて来たとも言えた。
航海長の速水は、腕は一流だがその慎重さが祟って、今まで戦艦勤務経験は無し。本来、戦艦に乗り込むことはない海軍陸戦隊は、朝鮮半島出身の金大佐を筆頭に日本人、朝鮮人、満州人と五族協和を体言したような多民族による編成になっていた。航空隊は正式採用前の試作機とメーカーの技術者ばかりで、砲手に至っては46cm砲を撃ったものが一人いないと来ている。極めつけは機関、及びその機関員だ。世界初の新開発機関に加えて、人員はメーカーから派遣された技術者ばかり。こんな素人だらけの布陣で本当に戦争が出来るのか。田代はこの艦が戦場に着くまでにそれなりの働きが出来るよう、彼らを訓練しなければならないのだ。通常、大和型の慣熟にはどんなに優秀な者でも最低1年を要すると言われている。戦場に着くまでの2ヶ月程でそれをどこまで戦えるようにできるのか。いや戦えるだけではダメだ、勝てるようにしなければならないのだ。
やはりすべてを話して彼らの協力を得なければなるまい。
兵たちが不満や疑問を口にして士気を落とす前に覚悟を決めてもらう。だが、真っ先に絶望の声が上がるのは目に見えているが…。田代は意を決した。
「諸君、先ずは今回の作戦内容について伝える」
作戦指示書の封を切り、田代はおもむろにその中身を読み上げた。
「第一.第110号艦(信濃)および揮下の全乗員のツングースカ協定機構軍への編入を命ず」
艦長の言葉を聞き、その場にいる全員が静まり返った。何を言われているのか理解出来なかったのだ。
そして田代は二通目の命令書を読み上げた。
「第二.ツングースカ協定機構軍所属の全軍は全力を持ってアフリカ方面に展開する敵補給部隊を捕捉し、これを撃滅せよ」 二通目の命令書を田代が読み終える頃から会議場は騒然とし始めた。
「なんだ、その命令は?」「ツングースカ協定機構って何なんだ?」「我々は日本軍ではなくなるのか?」「敵って何だ?連合国以外にも敵がいるということか」
田代にとってそれらの疑問は全て予想していたものだった。
さすがに参謀の島村だけは何も言葉を発しなかったが、先程からずっとこちらを睨んで非難の目を向けている。
「諸君らの疑問は当然だが、まず私からひとつ確認を取っておきたい。そして今この場で聞く事はここにいる全員で共有してもらいたい。慣熟訓練もままならない本艦には横の連携が極めて重要である。そこでだ、先ず金大佐に伺いたい、陸戦隊の練度の方はどうか」
「正直なところを申し上げましょう。わが隊は各地から集められた兵の寄せ集めです。連携も何もあったものではありません。新配備の人型重機も稼働試験を終えたばかりで、実戦で使用できるようになるにはほど遠い状態です。今のような状態のまま戦闘を行うのは甚だ無謀と言わざるを得ません」
場内にいる全員が金大佐に同意する目をしていた。田代は全員の顔を一瞥して、やはり話せることは全て話してしまおうと決めた。
「本来なら、『軍人は理由の如何に関わらず命令に従えば良い』と言いたいところであるが、今回はあまりに突飛な命令だ。諸君らの気持ちもよく解かる。そこで今はなるだけ諸君らの疑問に答えようと思う。ただ軍機に触れることでもあるゆえ、もちろん他言無用、部下にも必要最低限の説明ですませ緘口令は徹底するように」

そう話すと田代は大きく息をついた。暖房の効いている会議室においても吐く息は白く、場の空気は凍えていた。否、それはそこにいた皆の心がそう思わせていたのかもしれなかった。
田代は、今日ここに至った事情を事細かく説明した。階級、所属に関係なく、同じ死地に赴くものとして、誠心誠意、言葉を重ねて、今回の作戦の意義を伝えた。
「大日本帝国の敵は、諸君らも知っている通り米英を中心とした連合国である。だが、われわれ協定機構軍の敵は連合国ではない。それは未知の敵だ。そしてこの未知の敵と戦う限り連合国もわれわれに協力することになっている。米英は国を滅ぼすだけだが、この敵は地上にいる全ての人間を抹殺しようとしている。諸君らが疑問に思うのは当然だが、これは事実なのだ。私の言葉は今後の戦闘でおのずと証明されることになる」
田代の発した最後の言葉は決して反論は許さないという気迫が込められていた。それが功を奏したのか、それとも皆の理解を超えていたのか、先程のようなざわめきはもう起こらなかった。そこで会議は解散となった。田代はこの会議を何とか乗り越えられたことに内心ほっとした。提督だなんだと地位は高くとも所詮はひとりの人間である。悩みは深く、人を使うことには苦労もする。大きなため息とともに脱力感と安堵感が身体を支配し、田代はしばらくの間椅子から立ち上がることが出来なかった。 ひとつの心配事は乗り切った。だが田代にはもう一つ確認しておかなければならない事があった。それはこの戦艦信濃が搭載している機関に関することだった。戦艦はその性格上、ある程度評価の確定した「枯れた」技術を用いて作られることが多い。艦の運命を決定づける機関であればそれはなおさらの事である。田代の気掛かりを察したのか、一度退出した機関長の仁科が田代のもとに戻ってきた。そして間を置くことなく副官の島村とひとりの女性が入ってきた。
「提督にはまだ他にお隠しになっている事がありますね。それは、そこにいらっしゃる仁科技術大佐と関係のあることではありませんか」
島村の言葉を受け、仁科は田代の方をちらりと見た。田代は軽く頷くと、詰め寄る島村に説明を与える事を許可した。仁科は一度深呼吸をすると、ゆっくりと島村の方に向き直った。仁科は議場に四人以外の人間がいないことを再度確認すると、声を潜めて話し出した。
「炉は今のところ安定しています。が、作業には人型重機の使用が絶対条件です。重機なくしては作業員の安全は確保できません」
「それはつまり、漏れていると判断すべきか」
「微量ですが、確実に漏れています。この技術は我々には早過ぎます。それに、戦闘を前提とした艦になぜあんなものが積まれているのか、全く理解できません。いたずらに乗組員の命を危険に晒すだけです」
島村は眉をひそめた。仁科の話から察するに、この信濃が搭載している機関が噂に聞いたあれのことであるように思えた。急ぎその事を田代に確認しようしたが、そこへ隣にいた女性―冷泉院元子―が口を挟んできた。
「その通り、この艦は原子力で動いています。ドイツでもアメリカでも、一国単独の力ではせいぜい爆弾止まりであったものを、我が社がそれらの国と技術交換することで機関として作り上げたのです。工作技術の関係で未だ完璧とは言えませんが」
「アメリカ?敵国との技術交換などあり得ない!」
島村の目は怒りに燃えていた。軍属とは思えない一女性が口を挟んできたことにも腹が立ったが、それ以上に島村を激高させていたのは、自分たちが命を賭して戦っているアメリカと、日本の一企業が裏でなれ合いのような『技術交換』をしている事の方だった。
「それがツングースカ協定の効果なのだよ。機関室や陸戦隊で使っている人型の重機、あれもツングースカ協定の成果なのだ。装甲はドイツのクルップ社、エンジンは同じくドイツのマイバッハ社製、そしてまるきり未知の技術である「意志伝達金属」は我が国からの提供だ。そして本艦は目的地に到着するまで連合国に攻撃されることは無い。加えて補給の全てはツングースカ協定機構軍に編入された連合軍艦艇から受けることになっている」
「閣下、敵から施しを受けるなど。閣下に帝国軍人の誇りは無いのですか!閣下も自分もアメリカには散々煮え湯を飲まされてきました。閣下のご子息はミッドウエーで戦死され、私の友人も数え切れないほど戦死しています。その恨みを忘れるのですか!」
「私も東京の空襲ですべてを失ったよ。両親も妻も二人の子供も、全て」
静かに悲しい笑顔を浮かべて田代は続けた。
「だが、その恨みを捨てて我々は協力し合わなければならない。より多くの犠牲を避けるために。この国だけでなく、世界中の子どもたちに平和な未来を渡す為に、やつらに勝利しなければならないのだ。そのためにはこれまでの怨みも憎しみも全て忘れ去らねばならない。汝の隣人を愛するがごとく、汝の敵を愛せよ。キリスト教の言葉だったかな。神様は結構良い事を言うものだ。もっともそのキリスト教の国々が戦争大好きときている。矛盾だな。世界は矛盾と混乱で満ちている」
「島村、我々は勝たなければならないのだ。例え、わが国がアメリカに敗れても日本人全てが滅びるわけではない。だが、奴らに敗れるということはこの地上に暮らす全ての人類が滅びることを意味する。奴らは遥か古代の昔から我々人間を利用してきた。奴隷として、ときには食料として。しかし一番厄介なのは、奴らと通じて同じ地球の民を裏切る組織があると言うことだ。そいつらによって今もある民族が滅びようとしている。数百万人の同胞が今まさに殺されようとしているのだ。我々は日本という一国家の利益よりも全人類の民のために戦おうとしている。だが、我々だけではないぞ。南極にいる同胞も共に戦うため彼の地を出航している」
島村は田代の言葉に納得したわけではなかった。そしてもう一つ、この艦に軍属でない複数の女性が乗り込んでいる理由も確認しなければならなかった。
「自分がこの艦に乗っている理由?」
女性でありながら冷泉院の話し方はまるっきり男性のそれであった。それは男装の麗人と呼ばれた川島芳子を彷彿とさせた。 「それはこの艦の建造を我が社が担当し、新型電探などの新装備を艤装したのも我が社であるからです。軍の中にそれらを使いこなせる者がいないから、我々が派遣されている。それだけの理由です」
「思い出したぞ、貴様は確か冷泉院。華族の冷泉院元子だな。戦艦勤務はお嬢様の火遊びとは違うぞ、分かっているのか!」 あくまでも島村の反発は収まらない。
「男も女も家の出身も関係ありません。これは総力戦なのです。ありとあらゆる手段を用いてでも我々は勝たなければならないのです。軍人のつまらない意地など、取っととお捨て下さい」
冷泉院はよく見れば極めて整った顔立ちをしていた。その真っ直ぐな黒髪と銀幕のスターに引けを取らない美しい顔立ちは男の目を釘付けにする十分な魅力を持っていた。しかしその整った顔から放たれた厳しい言葉は、的を得ているだけに島村の心をさらに激しく激高させた。しかしそんな島村に声を掛けたのは他でもない田代であった。今にも冷泉院に殴りかからんとするその肩を叩くと、一言「お前が間違っている」と島村をいさめた。冷静に考えればその通りなのだ。そんなことは島村にも十分解っていた。しかし、敵国であるアメリカへの憎しみ、そして何よりも今まで受けてきた「教育」が島村から冷静な判断を奪っていた。収まりのつかない気持ちを抱いたまま、それでも島村は冷静に任務を遂行することを心に決めた。それは軍人である以上、例えそれがどんなに理不尽な作戦、命令であっても直属の上官に従うべきであることを島村が分かっていたからであった。

※山口多聞
海軍中将。ミッドウェー海戦において、味方空母が撃沈される中、最後まで残った空母「飛龍」を率いて米空母ヨークタウンに攻撃を仕掛け、これを大破させる。その後、刺し違えるように敵空母攻撃機の猛攻を受け「飛龍」は大破。航行不能に陥る。最期は味方駆逐艦に自沈処分される「飛龍」に残り、艦と運命を共にした。田代とは海軍兵学校40期の同期でもあった。

冷泉院家( れいぜんいんけ )

「公家」「貴族」「華族」。時代とともに呼ばれ方は変わっても、立ち位置そのものに変わりはない。「日本」という国の中央に位置し、( まつりごと )を執り行う。それは四民平等となった現代においても変わる事はない。元子の生まれた冷泉院家もそのような「家」のひとつだった。代々帝に仕え、女たちは帝とその家族の世話をし続けてきた。元子は五人兄弟の二番目、長女として冷泉院家に生まれた。兄が一人、弟二人と妹が一人。本来であれば長女である元子が宮内省へと出向くはずであったが、彼女はそれをあっさりと断った。家を継ぐべき兄が亡くなったからだ。兄―隆俊は大陸での戦闘で撃墜された。広大な中国大陸の事、歩いて基地に帰り着くなど先ずできない。3日の後、隆俊は戦死の認定を受けた。結果、年長である元子が冷泉院家の全てを受け継ぐこととなった。年長とはいっても女学校を出たばかりの18歳。若すぎる彼女ではあったが、家徳と言う責務は待ってくれない。華族とは別の顔である「財閥」という複合企業体、そして口伝で伝えられたこの国の知られざる歴史、元子はそれらの責務一切を引き継ぐこととなった。そんな彼女に課せられた最初の仕事が新造戦艦「信濃」への電子戦装備の艤装であった。電探そのものは日本でも早くから開発が進められていた。しかし一部の反対によってその採用は大幅に遅れていた。「電探を使って相手に気づかれる前に攻撃を仕掛けるなどとは卑怯千万」などという総力戦とはおよそ思えない前時代的な価値観に囚われた一部の軍人官僚が反対していたのだ。だが、もともと軍属ではない元子にそのような考え方はもちろんない。華族でありながら財閥を築きあげた家系の一員である。合理的かつ進歩的な考え方、先を見通す目は人よりも持っている。そして信濃建造の過程で経験した軍部や下請け企業との交渉で、元子は( したた )かさと相手の心理を見抜く技を身につけていた。

女学校時代の元子は美しい黒髪とそのつぶらな瞳から「生きているお人形さん」と揶揄されていた。だが、交渉折衝を通して身に付けた覇気は元子を人形という「飾り物」から大人の「女」へと変化させていた。そして元子が二十歳になったとき、冷泉院家に伝わる( いにしえ )の口伝を知らされたことで、彼女は自分がこの国と世界に巨大な責任を負う身になってしまったことを悟った。理屈を背景に話す元子の言葉は島村を抑え込むに足る十分な説得力を持っていた。そもそも精神主義に陥った参謀や軍官僚に電探などの兵器を有効に活用できるはずがない。田代や島村がおかれた状況を考えれば、新システムを熟知した彼女が信濃に乗り込んで、直接管理するのが最も有効であることは火を見るより明らかであった。

冷泉院家の長男であり本来の跡取りである冷泉院隆俊は突然出帆した。それは財閥経営の一員に加えられ、( いにしえ )の口伝を伝えられた直後の出来事だった。5年のち兄に代わってそれらの業務を引き継いだ元子は、兄がその責任の重さから逃げ出してしまったのだと思った。それまでは歳も離れ可愛がられていたことから、兄には相応の敬愛を持っていたのだが、この一件を機に元子の兄に対する感情は一転してしまった。それは元子が他の男性を警戒するようになることにも繋がってしまった。信濃艦内における島村への態度はその表れでもあった。己の心情を素直に出しすぎる男への嫌悪。元子は島村に兄の姿を重ねてしまったのだ。
しかし、実情は少し違っていた。冷泉院隆俊は確かに出帆した。しかしそれは責任から逃れるためではなかった。責任の大きさに耐えられるまでに自分を鍛える。口伝が伝えるこの世界の真実に打ち勝てるだけの精神力を身に付ける。そのために隆俊は軍へと入隊したのだ。しかしそんな勝手が家に許されるはずもない。隆俊は仕方なく偽名を使って軍に入隊した。

内地での訓練が終わると隆俊は中国の航空隊に配属された。「実戦を重ねることでより一層己を鍛えられる」戦場に出るまで隆俊はそう考えていた。だが初めて味わう実戦の過酷さはそんな隆俊の想像のはるか上を行っていた。無我夢中のまま、それでも何とか生きて基地へと帰り着いた隆俊は、兵舎に辿り着くと倒れるように眠り込んでしまった。何不自由ない生活を送ってきた彼にとって、生死をかけた戦場の、敵味方入り乱れた生の感情のぶつかり合いはそこにいるだけで精神を削り取られる過酷なものであった。隆俊は戦場に来たことを心から後悔した。全てを告白し、家の力を使って除隊させてもらおうと、両親に宛てて手紙を書いた。だが、それは投函されることはなかった。彼の人間的成長がそれを止めたのだ。封を閉じてはみたが、ここで家に頼ってしまってはこれまでの人生を、そして出帆したときの決意を全て否定することになる。隆俊は手紙を荷物の奥底に仕舞い込むと、やがてそんなものがあることすら忘れ去ってしまった。

だが程なくして隆俊は撃墜された。彼の機体が墜ちていくのを僚機が確認していた。3日の後、彼は戦死の認定を受けた。遺品として隆俊の荷物を整理しているとき、以前書いた手紙が発見された。軍上層部は蜂の子をつついたような騒ぎになった。戦死の報告を受けた冷泉院家の執事はその場で卒倒したという。
だが冷泉院隆俊は死んでいなかった。

目を覚ましたとき、隆俊は布でできた建物の中に寝かされていた。草と土の入り混じった匂いがする。隆俊は自分がどこにいるかが分からなかった。草原に不時着しようとしたところまでは覚えている。だがその先が全く思い出せない。起き上がろうとしたが全身に電気のような痛みが走って背を起すことが出来ない。そうこうしているうちに抗いようのない眠気が襲ってきた。体力が足りないのだ。次に彼が目を覚ましたのは、草と土の匂いに交じって、肉を煮込む匂いが流れてきたときだった。

自分でもぐうぐうと腹が鳴るのが分かる。体の痛みも先程よりましになっていた。ゆっくりと体を起こすと、建物の中がたき火のような灯りに照らされていた。火の周りにいた人が隆俊に気付いて声をかけた。だが何を話しているのか全く解らない。中国語でも韓国語でもない。どうやらそれはモンゴル語のようだった。
隆俊はモンゴルの遊牧民に助けられていたのだ。声をかけてきた女性は、その様子からこの家の嫁であることが窺えた。しばらくすると、その女が湯気の立ち上る器を隆俊のところに運んできた。中には見慣れないスープが入っている。匂いからするにそれは羊の肉のスープであるらしかった。初めて口にする羊の肉は臭みが強く普段であれば吐き出してしまったかもしれない。しかし隆俊の空腹は既に限界に達していた。一口飲みこむと肉の旨みが五臓六腑に染み渡っていく。思わず涙が零れ落ちた。命が助かったこと、助けられたこと、家のこと、日本のこと、この世界のこと、ない交ぜになった様々な感情が涙という形で隆俊の目から溢れだした。それは感謝の涙でもあった。

言葉は通じなかったが、彼らは嫌な顔一つせず、献身的に介抱してくれた。彼らの生活からすれば隆俊に食事を与えることでさえ相当にきついはずだった。「ありがとう」のひと言以外隆俊には口にする言葉がなかった。
変化が起こったのは彼が目覚めてから一週間ほど経った時だった。朝早くに、馬にまたがった一人の日本人がやって来た。最初隆俊は軍の捜索隊が来たのだと思った。だがその日本人は隆俊の顔を見ると意外な言葉を発した。
「お迎えに上がりました。藤堂隆俊様、いえ冷泉院隆俊様」
それは女性の声だった。
短髪にズボン姿と動きやすい恰好をしてはいるが、明らかに軍人とは違う雰囲気を醸し出している。年齢はおそらく二十代半ば、妹の元子よりも少しだけ年上であるように見えた。
だがモンゴルの奥地まで一人で馬を駆って来のだからそれなりの訓練は積んでいるはずだ。加えて隆俊の正体を知っていることも鑑みれば、冷泉院財閥の手のものであることは容易に想像ができた。
「私どもも手が足りず、お迎えが私一人になってしまい誠に申し訳ございません」
その一言で隆俊はこの女性が冷泉院家の者であると錯覚した。

隆俊は迎えに来た女性と二人して、遊牧民の家族に礼を言った。女性が持参した土産物を渡すと彼らは遠慮なくそれらの品を受け取った。日本人であれば一度は遠慮するところだが、歓待や贈り物は素直に受け取るのがモンゴル人の文化である。女性もその辺は心得ているようで、お返しに渡された馬乳酒をありがたく受け取っていた。
鞍を使わず直接馬にまたがるのがモンゴル流の乗馬である。慣れない者は尻の皮がむけて悲惨な目に合う。案の定、隆俊の尻もあっという間に一皮剥かれてしまった。隆俊はせっかく後ろから手を回して女性に掴まるという幸運に恵まれたのに、痛みでそれどころではなくなってしまった。

広大なモンゴルのこと、近隣の都市に着くまでに最低でも一泊はテントで過ごさなければならなかった。テントを一つしか積んでいなかったため、その夜二人は同じテントで眠ることになった。女性には縁のない軍隊生活を送っていた隆俊にとって、それは拷問以外の何物でもなかった。若い女性特有の臭いに加えて色気を感じさせるその声が「男の本能」を呼び起こさせる。それを一晩中抑え込むことは、隆俊にとって空戦以上に忍耐力を必要とする戦いだった。

黒葉真風( くろばまかぜ )と名乗ったその女性は町に戻ってからも隆俊の同行を申し出てくれた。というよりも隆俊生存の報を日本に送った際、本国からそう命令されていたのだという。
「軍へ戻りますか、それともこのまま帰国なさいますか?」
との問いかけに隆俊は
「いや、アフリカへ」
と一言だけ答えた。この機会に、冷泉院家の口伝にあった一文を確かめようと考えたのだ。新たに調達した馬に跨ると、隆俊は昇り始めた太陽を背に地平線へと顔を向けた。冷たい空気が頬を撫でる。人類発祥の地アフリカ。そこに眠る人類史上最大のスキャンダル。隆俊は遊牧民に拾われたこの命をアフリカへの旅で使い切ってしまっても構わないと思った。同行を申し出た真風には申し訳ないが、それが自分に課せられた宿命であるような気がしていたのだ。
「では急ぎましょう。次に向かうべきところも心得ております」
そう告げると真風は馬に跨った。隆俊は真風の正体を( いぶか )ったがそれを問いただすことはしなかった。全ての疑問はこれからの旅で( つまび )らかれる。それで良いのだと思った。
二人を乗せた2頭の馬は重い荷物に脚を取られながら、アフリカへと続く長い道をゆっくりと進み始めた。

訓練(戦艦信濃−1945.3.10−)

第一陸戦隊の金大佐がV号人型重機の訓練を始めて既に一週間が過ぎていた。ドラム缶に手足を付けたような姿から一部の兵士からは「だいだらぼっち」などと呼ばれていたが、金はこの人型重機( リーゼンパンツァー )なるマシンの性能にすこぶる感嘆していた。全高5m、重量4.2t。サイズに比べて軽量にまとめられたこのマシンは第一砲塔から艦橋に続く−所謂(いわゆる)「大和坂」を素早い動きで疾駆して行く。マイバッハ製のエンジンが軽快な唸り声を上げ、追従する部下の重機もその動きによどみがない。その機動力は数ある陸軍車両の中でもおそらく最速、また被弾傾始を重視した曲線構成のボディには地上で最も硬いと言われる特殊金属が使われており、他の日本軍車両にはない高い防御力を持っていた。
「素晴らしい。こいつはまさに一騎当千。これがもし10年前にあったなら、大陸の紛争もとっくに終わっていただろう。それにひょっとしたら祖国の独立も叶っていたかもしれない」
それは日本海軍軍人であると同時に祖国を失った朝鮮民族としての想いでもあった。重機の狭い操縦席で金は遠い過去へと思いをはせる。併合という名の国の消滅。盟主国の資本投下による国土の発展。官僚支配からの解放とその後の両親の苦労。親から聞いた話や自分の体験をふまえても国が失われた事が良かったのか悪かったのか、その判断を下すことは難しい。ただ一つだけ言える事はこの戦争に勝たなければ、故国の独立も叶わないと言う事だ。

艦首にたどり着いた金はいつものように射撃訓練を開始する。甲板を走りながら空中に浮かべた吹き流しを狙い撃つ。遠方からでも目立つ凧を上げられるのは、絶対に攻撃されないと言う保証があるからだ。それは先日の会議で聞かされた例の「協定」のお陰でもある。
「ツングースカ協定か。果てしなく戦う者同士がこの一点においてだけは協力し合える。いっそのこと大東亜戦争など止めて一致協力して戦えば良いのに。こんな限定的な協力で本当にその未知の敵とやらに勝てるのか」
部下も日を追うごとに重機の扱いに慣れていった。はじめは擦りもしなかった吹き流しにも弾丸が当たるようになってきている。が、そんなときにこそ事故は起こる。誤射だ。
それは一列縦隊で走行訓練を行っている最中に起きた。金の後ろに位置した1台が突然崩れるように倒れ込んだのだ。その反動で、重機の持っていた20o砲の引き金が引かれてしまった。至近で発射された弾丸が前を歩いていた金の車両の背中を襲う。撃たれた金の車両は二度三度甲板に叩きつけられて停止した。その場にいた誰もが金の死を直感した。が、金の車両はすぐに立ち上がった。背部にへこみはできたものの、その機動に問題はなさそうであった。むしろ問題なのは転倒した兵士の方だった。倒れたまま再起動しない車両を開放したとき、この兵士は既に息絶えていた。そしてこの事故が後に人型重機を運用する上で大きな問題となってしまう。

医師の検査を受ける金の隣で死亡したその兵士は寝かされていた。同じ朝鮮半島出身の男で祖国の独立を夢見る同志でもあった。金はじっとその男の顔を見つめた。頬はこけ、体躯もやせこけてはいたが、きれいな顔をしていた。この男は人生に満足して死んでいったのだろうか、後悔は無かったのだろうか。考えてもせん無いことだが、金はどうしても考えてしまう。なぜなら、自分が死ぬ時には間違いなくそのことを考えるからだ。他人と自分を同じはかりに掛けるのは悪い癖だと分かっている。だがどうしてもそうしてしまうのが金の性分でもあった。しかしそうであるからこそ、金は生活習慣も言語も違う多民族混成部隊を今日まで統率して来れたとも言えた。
「解剖してみないと正確なことは言えませんが、過労ではないかな。少し訓練が激しすぎるのではありませんか?」
うまく人と折り合えなさそうな医師の織部は、冷徹な目つきをしたまま金にそう言い放った。
そんな織部の言葉に金は納得するものがあった。前から思っていたのだが、この重機に乗ると異常に疲れるのだ。他の搭乗兵も同様に感じているようで、同じ距離を移動するのに歩くよりも疲れると言う声も聞こえていた。金はその理由が重機の内部構造にあるのではないかと踏んでいた。

整備班長の吉田はいつものように笑顔で金を迎えてくれた。ただでさえ忙しい日々の業務に加えて被弾した車両の整備まで背負い込まされたのだ、朝鮮民族であれば職務放棄とは行かないものの、激怒して食いかかって来てもおかしくはない。それなのにどうして日本人はこんなにもにこやかでいられるのか?金は不思議でならなかった。
「大佐、ご無事でしたか。損傷から見てたいした怪我ではあるまいと思っておりましたが、息災で何よりです」
「20o砲がぶち当たって無事で済んだとは自分でも信じられんよ。で、車両の方はどうなのか?」
吉田が案内した先には装甲のはずされた重機が横たわっていた。
はずされた装甲は一見した限りではほんのわずかなへこみが付いているだけだったが、外装と車両本体とを接続する継手やボルトはいずれも潰れるか歪むかしていた。
「ご覧の通り砲撃の衝撃で継手はすべて潰れて使い物になりません。しかし装甲はこのまま使用しても問題はないでしょう。もっとも予備の装甲なんざ、ありゃしませんがね。よろしければ触ってみてください。面白ろうございますよ」
金は促されるまま、その装甲に触ってみた。
軽い、そして薄い、それが金の感想だった。
「そう、異常に軽く、薄いのです。超々ジェラルミンなんて比較になりません。こんなに軽いのに、こいつぁまるで鋼鉄のように硬いのです。こんな金属は今まで見たことも聞いたこともない。そしてもうひとつ。こいつに乗ると妙に疲れるんです。ハンドルを握った後は特に。まるで命を吸い取られているような感じです。もっと言えばドイツ製のエンジンはともかく、周辺の補機類は全てアメリカ製と来ている。大佐、知っていたら教えて欲しいんですが、この人型重機なる車両、こいつぁ一体どう言った物なんですか?」
吉田の顔に先ほどまでの笑顔は無かった。真剣なまなざしが真っ直ぐ金の顔に向けられている。正体不明のものに対し、おそらくは部下の整備兵の身を気遣っているに違いない吉田の言葉に、金も真摯に答えるしかなかった。
「正直に言うが、私にも分からない。国際共同の開発だとは聞いているが、なぜ敵国アメリカの部品が使われているのか、全く何も聞かされていないのだ。情けない話だが…」
吉田は金を責めるようにじっと見つめていたが、暫くするとあきらめたようにその視線を逸らした。
「そうですか、知らないのなら仕方ありません。我々はこれまで通り全力を尽くさせてもらうだけです」
その言葉が終わるころには吉田の顔はいつもの笑顔に戻っていた。
整備工場を後にする金の足取りは部下の死を聞いたとき以上に重くなっていた。

同胞の死を悼む海軍陸戦隊の面々は部隊葬の後に酒保を開いた。
金は酒盛りこそが最高のコミュニケーションだと知っていた。ここには半島の酒「マッコリ」も大陸の「老酒」も「馬乳酒」もない。あるのは日本酒だけだったが、飲みなれない酒でも味が良ければ同じこと。要は万国共通のアルコールである。 日本酒のラベルにはただ「超(こえる)」の一文字だけが書かれていた。その字からは品不足の戦時にあって何とか美味い酒を造ろうとした蔵元の気概の様なものが感じられた。だが金はそれを敢えて「国や民族を超えて」という意味に受け取った。それこそが多民族混成部隊である彼らにはふさわしい名前だと思ったからだ。

再会(室蘭−1945年3月1日)

雪は止みつつあったが辺りに人の気配は無かった。それでも男は周囲に気を配りながら深夜の路地を目的地に向かう。そこは小さな新聞店だった。その軒先に手にしていた荷物を放り込むと、男は一瞬安堵の表情を見せた。
「つなぎは新聞屋か。新聞と一緒に書類を届ける。なるほど、これなら目立たずに機密を運ぶことが出来る。うまい手を考えたな」
酔いもあったのか、男は捕縛されるまで後ろをつける気配に全く気付いていなかった。
「少し歌ってもらおうか」
連れ込まれた安宿の一室で男を取り囲んだ黒服の者たちは全員剣呑な気配を有していた。
「貴様ら、百目の手の者か?」
男はあせりと恐怖を顔に滲ませながら、それでも強がるように声を上げた。
「いかにも。そして貴様は石切り場の賢人の末端といったところか」
「……」
「分かっているのはそれだけではないぞ。お前たちの本拠地は青森にある石神鉄鋼だな」
男の顔が不意にゆがんだ。
「正直な男だな。そんなことでは間諜はつとまらん。ゆっくりと話を聞かせてもらおうか」
黒服の男達の顔に凶暴な笑みが浮かんだ。

その日の早朝、いつものように新聞配達員が続々と店を出て行った。次々に配られる新聞の配達先が百目によって一軒一軒確認される。その中の一軒に石神鉄鋼の社員の家があった。その社員の動向は逐一報告され、自宅に届く郵便物も全てが開封された。言わずもがな電話も盗聴され、そして尻尾を掴まれる。
石神鉄鋼は青森の僻地にその本社を置いていた。良質な鉄が取れるという名目であったが、本社の周りに鉱山などは無く、そこ広大な原生林が広がっていた。鉄鋼会社とは言ってもその実態は精錬から手掛ける総合金属メーカーであり、周囲の原生林には朝から晩まで鉱物を精錬する甲高い音が響いていた。広大な敷地には工場とは別に小さな事務棟も建てられており、そこには忙しく行き交う人達の姿が見えていた。だがその中に、工場には似つかわしくないひときわ異質の気配を宿した男たちの姿があった。
「社長、ヒヒイロカネの納入がだいぶ遅れているようですが、精製はどれほど進んでいるのですか?」
声を上げたのは一見して軍人を思わせる険のある男だった。
その男の対面に社長と呼ばれた男が座っている。
「あまり無理を言わんで下さい。あれの埋蔵量だって限られているんです。採掘するのだって並の金属とは比較にならんくらい難しいんですよ」
「石工の達人と呼ばれる石神鉄鋼の社長とは思えない言葉ですな。ともかく、あれが無ければ協定国に対する我々の顔が立たないのです」
軍人らしき男はテーブルの上に肘をつき、冷酷な目を社長に向けた。
社長は笑顔を崩さず、それでいて反抗心もわずかにその表情にのせながらしっかりと軍人の目を見据えた。
「そうは言ってもね、出来ないものは出来ないんです。いい加減軍の方にも精神論だけではどうにもならん事があると言う事を学んで欲しいですな」
そう言われると、軍人は突然怒りに任せテーブルを叩いた。
「貴様っ!いくら協力者といっても言って良いことと悪いことがあるぞ。私がその気になれば、貴様などいつでも逮捕することが出来るのだぞ」
「やれやれ、無能な軍人はいつだってこうだ、逮捕できるものならしてみるがいいさ、その代わりヒヒイロカネの生産はそれで終わり。責任者のあんたもただじゃすまない。良くて前線送り、悪くすれば切腹ものでしょうな」
すると軍人は怒りのまま腰だめから銃を引き抜いた。だがその時、空気を震撼させる怒声が突然室内に響いた。
「やめんか、ばか者!」
大柄な男が唐突に扉を開けて二人の間に入って来たのだ。
「明石大佐」と、小柄な軍人は突然の乱入者に驚きつつも抗議の含みを持った声を上げた。
190センチはあろうかという長躯に剃髪、筋肉の塊のような体躯は室内の空気を押しのけて室温までも押し上げる気配を持っていた。顎で外に出るよう指示を出すと、小柄な軍人は怒り収まらぬといった風でありながらもおとなしくその指示に従った。
「部下が失礼した」
と言いながらも悪びれる風もなく、男は応接のソファーに身を沈めた。
「軍人ってのは、上から物を言う人が多いが、あなたは何も言わずとも上から人を見る態度だね。昔とは大違いだ」
石神の言葉に苦笑を浮かべつつ、明石と呼ばれたその男は答えた。
「社長、あなたの態度もなかなかのものです。軍人相手にそこまで居丈高になれる人はそうはいない。いくら昔世話になったと言っても、いつまでもかばいきれるものではありませんよ」
「わたしゃ、元々偉そうな軍人が嫌いでね。こんな協力だって本当はしたくないんだ。社員を食わせるために仕方なくしているだけのこと。もっともその社員も大半は軍隊に取られちまったがね。だったら残った社員分だけの協力でもいいだろうにさ」
「ですがね、あれが無ければ戦地に行ったその社員の命も助からないかもしれない」
明石のあからさまな脅迫にしばしの沈黙が流れた。
「社長、あなたはヒヒイロカネを横流ししていますね」
突然の問いに石神の顔色が変わった
「な、何を根拠に?」
「それはあなたが、石切場の賢人のメンバーで、この石神鉄鋼が日本における彼らの本拠地であるからです。青森県新郷村、あなた方の言う神が死んだとされる土地です。あなたの会社のある土地−今我々が立っている正にこの場所です」
そう言って明石は足元の床を指差した。
「それで?私にどうしろと言うのかね」
「どうにもしませんよ。一介の情報士官である私にあなたをどうこうする権限はありません。ただ私はお願いをするだけです。旧友であるあなたに。あなたの知っている事の全てを教えて欲しいと」
「お願いですか、それじゃしょうがない。わざわざあなたほどの人が出向いてくれたわけですから。…と、言えないのが私の立場でしてね」
明石はじっと石神の顔を見据えた。互いがその眼を見つめ、決して逸らすことはない。静かな戦いだった。どれ位時間が経ったのか、最初に口を開いたのは明石の方だった。
「超常的な力を持った人間は歴史上何人か現れています。中には神と呼ばれた者もいたでしょう。が、それらの正体は実際のところ奴等なのではないですか。奴らの技術を借りて奇跡を起こした者が神になったと。違いますか?」
石神はその表情に何の感情も表さずに答えた。
「あなたの理屈で言うなら、現人神(あらひとがみ)も奴等ということになりますな」
石神の皮肉に明石は苦笑を浮かべた。
「明石大佐、君達百目はすごい組織だね。二千年間秘密であった我々の存在にここまで肉薄してきている。本当はすでに奴等の正体を知ってるのではないのですか?」
明石は腕組みをしたままニヤリと笑みを浮かべた。
「予想は付いていますよ。安っぽい空想科学小説のような結末を想定していますがね」
石神は席を立ち、窓から外を眺めた。
「今日も良い天気だ。日本が滅ぶかもしれない戦争をしているというのに、なぜ自然はこんなにも平穏でいられるのでしょうね」
「あなたは日本どころではない、世界を滅ぼすかもしれない相手に手を貸しているのですよ」
その言葉に石神は明石の方を振り返った。
「それは逆かもしれない。奴らに刃向かうことは人類の破滅を早めることにつながるのかもしれない」
「それはどういうことですか?社長」
石神は押し黙ったまま何も答えなかった。
「では最後にお聞きします。プログラム・メギドとはいったい何の事ですか?」
「プログラム・メギド!君達はそこまでたどり着いていたのか。それこそが我々石切り場の賢人の存在意義だ。いかなる犠牲を払ってでも、メギドの発動を止めなければならない。それこそが我々石切場の賢人の目的なのだから…」
そう話す石神の表情は苦痛の色に歪んでいた。

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